全録 鎌倉会議2016。あの日語られたすべて [前篇]

05/26/2017

2016年10月30日、北鎌倉円覚寺佛日庵にて鎌倉会議が開催された。「二つの宇宙(内的宇宙と身体宇宙)」をコンセプトに登壇者、専門家や各界で活躍する60名の参加者と共に、これからの「心」と「身体」を対話を通して考えていく。

午前の部(テーマ: 身体宇宙)

0:00:00 前野隆司さん挨拶 
0:05:00 星野文紘さん 「山伏イズム 身をもって感じたことを考えろ」
0:28:23 松島倫明さん 「Go Wild! なライフスタイル in 鎌倉」 
0:52:31 稲葉俊郎さん 「あたまとからだの付き合い方」 
1:18:26 横山十祉子さん 「対話」 

午前の部: 身体宇宙

司会:最初にこの鎌倉会議の実行委員長でもあります、慶應大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科委員長で教授であります前野 隆司さんから最初のオープニングのご挨拶をお願いします。よろしくお願いします。

前野:よろしくお願いします。

(会場拍手)

前野:はい、こんにちは。実行委員長をしてます慶應大学の前野といいます。なんでこういうところにみんなが集まってるのかという話をしようと思ってきました。ほんと、いろんな方々、しかも著名な方々とかね、すごい濃い方々が集まっててくださってね、本当にありがとうございます。なんでみなさんが集まったかって経緯をお話しますね。もともとは今日来られてないですけど、私と千葉大学のコバヤシ先生とが、幸せと平和について語り合おうという会をですね、ノダさんとかと一緒にやってたんですよね。それで、やっぱり世の中幸せになってほしいじゃないですか。平和になってほしいですよね。ところがなんかこう、大きなことを語りあう学者が足らんぞ、みたいな、二人で盛り上がってたんです。それが1年ぐらいあって終わったときに、この動きをもっと広げましょうよと、キドさんとかシマムラさんとかいろんな人に相談して、幸せ平和勉強会みたいな、そういうのを2年ぐらいやってたんです。

でみんなの話をしたりして、盛り上がってたんですけども、でもまだなんかいい人のネタはどんどん出てきたんだけど、どうもっとつないでいいかよくわかんない。じゃあ幸せ会議っていうのをやろうって、最初ぼく幸せ会議っていってたんです、幸せ会議っていうのをやろうっていって、そしたらせっかくだから幸せを世界に発信する拠点として、鎌倉がいいんじゃないかってキドさんかな?誰かが言い出して、じゃあ鎌倉、鎌倉会議にしようってことになったんです。鎌倉会議ってなんか、かっこいいじゃないですか。(一同笑)で盛り上がって、鎌倉会議なら寺だろ、ってことで、円覚寺になりました。で、そうすると60人しか入れないとかですね、だんだん決まってきて、でもその想いっていうのはまだよくわかんないんですよ。(一同笑)

あの、幸せと平和をどうやったら日本から本当に発信できるのかまだよくわかんないけど、でも何かみんな集まって話し合えば、決まってくるんじゃないのって、なんかトップダウンに決めるんじゃなくて、みんなで大事なこと話してるうちに決まるんじゃないのって言う感じで、でやっぱり大事なのはこころとからだ。だから今日走って、いや歩いて、きましたよね。からだについて考えたり、それから心について考えたり、それからやっぱり鎌倉であるってことは禅とか仏教のもとというか、なんていうんですかね、日本の文化のもとですよね、こういうところでマインドフルネスとか、なんでしょう、こころと身体のあり方を考えたり、あるいは日本から発信するっていうことのシンボル、まあ京都でもいいのかもしれないですけど、京都とか鎌倉とかやっぱりこういう日本からのものを発信するスタートになったらな、みたいな。そういう想いですかね。

マインドフルネスってほんとは東洋のものだったのがずーっとアメリカを通って日本に入ってきて、まあね、ご本にもフジタ先生が書かれているように、もっと何か日本からできることがあるんじゃないかなみたいな感じは多分みなさんしてると思います。そういうわけで、どうなるか全然わかんないです(笑)わかんないけど、でもみんなが楽しく、でもただ楽しいだけじゃなくてほんとに想いが深まり、できれば鎌倉会議、日本から幸せとか平和とかを発信するってどういうことなんだろうな、その中で自分って何ができるんだろうな、まあそんな重くなくてもいいかな、そういうことを考える1日になればなという風に思っています。皆さん、あ、シミズハンさん、シミズハンさんに笑いをとれって言われたんですけど、とれてないんで、笑ってください。(笑) あ、とれた。(笑) 以上です。今日は楽しくやりましょう。以上です。ありがとうございます。



司会:はい、ありがとうございます。笑をとれっていわれて、笑ってくださいって笑い取ったらすごい会議だと思いますね。みなさんどうぞそのノリで引き続き今日も幸せにいきましょう。どうぞよろしくお願いします。それでは早速ですね、最初のご登壇の方にマイクをお渡ししたいと思います。羽黒山山伏でいらっしゃいます、星野文紘様。

星野:うけたもう~

司会:どうも、ありがとうございます。タイトルは、「山伏イズム 身を以て感じたことを考えろ」というタイトルでございます。どうぞよろしくお願いいたします。

星野:(ホラ貝をふく音)終わります。(一同笑)えー、物事の、はじまりは、すべて我々はホラ貝の音とともに始まります。まあそんなことで、多分今日は一番最初にホラ貝お前だよ、ということだと思います。今日は朝から、1時間弱ほど、お山を歩かせていただきましたね。非常に、どんな山に入っても清々しい、なんか生まれ変わったような気がする。今我々、これ一時間だけでもそう感じますよね。だから昔の人たちは、ほんとに山に入って、清々しい、ああ生まれ変わったような気がすると感じたんでしょうね。だから山に入って生まれた、なんか生まれ変わったようだって感じたから、考えて、あ、山は女の人の身体だってしたんじゃないでしょうかね。

山は、女の人の身体、それも、赤ちゃんが出てくる胎内、でだから赤ちゃんが出てくるとこ、そう感じたんでしょうね。だからすべて昔の人たちは、自分が身を通して感じたことを考えて、そしていろんなことをやってきた。そういうことが今でもしっかり、1000年以上経っても、我々はそういう伝え方をしていますよね。だから昔の人たちっていうのはほんとに感じたことが答えだったんでしょうね。その感じたことが答えだから、それを考えて、いろんなことを伝えてきた。日々の暮らしの中で活かしてきた。

そういうことを私は実際に、まあ生まれ落ちたときから私は山伏の家に生まれ落ちてるわけですから、出羽三山、メインの羽黒山の麓、大聖坊という宿坊で、7人兄弟の6番目で私は生まれました。みんなうちは親父も兄貴たちも頭で生きてる人たちでした。どういうわけか私が一番下の方でね、宿房を継ぐことになって、でそうですね、私自身もほんとに修行して修行してっていうのは60歳からですかね、60歳からもう修行に明け暮れて、いろんなことを腑に落ちたり気づいたり、そういうことをどんどん自分の身体からでてくるですね、そんなことを今日はちょっとの時間お話させていただきたいと思うんです。

時間がね、ちょっと、時間前になったら教えてくれます?で、3分くらい前になったら教えていただきたい。はいはい。それでね、私修験道、いろんなね言い方ありますよ、あの本も沢山でてる、図書館にいきゃなんでもある、で、そういうこの修験道、そりゃ見てもらえば修験道わかるんだけども、だけども本見てね、修験道理解できますよ。理解はね。だけども理解ができるっちゅうことばはね、裏を返せばわかってないってことかなと私は思うんです。頭で分かったってしょうがないよ。修験道なんてとくに。

だから、私がいう修験道っちゅうのは、一言で言えばね、修験道とは大自然の中に身を置いて感じたことを考える学問、ですね。私はそういう話をしています。で、それじゃなぜそういう風に私自身感じたかというとね、やっぱり山伏、、まあ山伏って何っつったときに、山伏って何?みんな本出てますよ。だけどあれ見たって分からないよ。ね。だから私はいわゆるこの山伏ってなんですかって言われると、山伏は神や仏と人をつなぐひと、自然と人をつなぐひと、そして最近はね、やっぱり食と人をつなぐひと、それからもっとゆるやかに言えば人と人をつなぐひと、人と地域をつなぐひと、地域と地域をつなぐひと、ここまでゆるやかでね、山伏ってそういうもんなんだろうね。

だからそのために山伏はしっかりと自然の中で修行して、自然の中でいろんなことに気づいていくことなんだと思うんですよ。だから私も実際、私自身も今までもういろんな修行をやって、60のときにこの羽黒ではね、冬の峰という100日の修行があるんですが、その100日の修行、籠り業なんですそれは完全なね。外で走り回るんじゃなくて、自然の家の中でこもってどういう修行をするか、の話すると時間ないんでね、あれなんで、100日の業をやってそれ以降ですかね、その前からまあね、実際修験道とは修行とはどんなもんですかってよく聞かれるんですよ。

その人にね、修行ってこんなもんだよってしゃべったってしょうがないもんね。だからああ、これはやっぱりね、修行やらせた方がいいんだねって。で私も45の年から修行もやらせたんです。で本格的にそういう風に始めたのは60歳になってからなんですが、そうするとね、この山伏修行はうち大聖坊では3日間に圧縮して修行させるんですが、その修行をするときに、今日もね、自己紹介に対してお話して入ってくるじゃないですか。つまり修行に来た人たちにはね、どこの誰だかわかんないほうがいいんですよ。うん。修行来た人にね、自分はどこのだれで何していますっていうとね、それでイメージ作っちゃうよ。その人の中身はわかんないくせに。ね。だからもう最初修行に20人も30人もきたら、もう何も自己紹介もなし、でおしゃべりもなし、話もない。

で、ただわたし、先達の話も何もなし。ただホラ貝吹いて、今から月山に行く。それだけ。それでみんなでうけたもーっていってついてくるわけです。うん。だから先が何があるかわかんない。で、今ね、あまりね、事前に説明しちゃうもんね。それはよくないよ。うん。それであとね、頭でわかったきになっちゃってるの。やっぱりね、修行とか祈りっていうのは見えないものをいかに見えるかなんだから、そんなときにね、言葉いらないです。そして、自然の中でね、雨降ろうが風降ろうがね、うん、もう月山をかけずり回って、そしてこの湯殿山っていうところにおりて、そして川を裸足で歩いて、そしてね、この冷たい雪解け水ごとものすごい勢いで落ちてくる滝にぶっとばされて、そして修行っていうのは進んでいくんですけど、そうしてね、修行を私が初めて、まあ本格的にやったのは60歳以降なんですけども、そしたらね、例えば15、6人くらいの修行に入ってきた中で、女の人なんかはほぼね、その頃は2人くらいでしたよ。

だけどね、修行が終わるとね、女の人たちってね、ものすごく活き活きと美しく帰っていくわけ。見事に。これは修行実際にね、今日もね、ここでね、あの今日おられる方で私んとこで修行した人もう十何人くらいもいるんでね、その人たちは実感として感じてると思うんですが、見事にね。それで男の人はね、あの活き活きとしないんですかって聞かれるんですが、男性はね、3日間も修行中ほら、ひげも剃らないし顔も洗わないし歯も磨かない、でお風呂にも入らない、だから3日間もひげ剃らないとね、ほらすごくやぼったくさ、3日間くらいひげ伸びてるのが一番だらしないよね。(一同笑)

ね。だから男性もね、生き生きはなってるんだけどね、見た感じがね、うん、もうなんかひげ面でさ、なんだよこの顔は、みたいな(笑)見た感じからはね、すぐ感じないんだよ。男性からはね。ところが女性はね、もうノーメイクで、すっぴんでその中の美しさが引き出されてるわけ。だからあれ、これなんなんだろう、なんで女の人たちはこんなに生き生き美しいんだろうかっていう、その気づきからがね、ものすごくいろんなものの感じの大きい、あれだったんだね。接点だったんだね。そこで気づいたんだよ。

ああなるほどね、山伏修行なんていうのはさっきいったようにね、雨降ろうが風降ろうがね、月山をかけずりまわったりね、裸足で川を歩いてて行き先の滝にぶっこんでぶっとばされたりね、そんなの野生そのものだよ。山伏修行なんていうのは野生性そのものなんだよ。そうしていくとね、ああなるほどね、そうすると何か女の人ってよみがえってるんじゃないかなっていう感じがしたの。それで、そこで感じてきたのがね、なるほど、旧暦時代ね、太陰太陽暦、ね、旧暦時代は、旧暦だよね、太陰太陽暦、そうすると太陽暦、これは季節感だよね一年間の。で、太陰暦、これは月との関係で月日間、だから月日間と一年間の季節感が近世までは一致していたから、たぶんこの女性たちは近世までは女の人たちはね、その野生性をね、ただ一年間のサイクルの生活をしているだけで保たれてたと思う。

ところが明治5年に太陽暦に変わっちゃった。完全にね。そうすると太陽の季節感だけになっちゃった。そうすると女の人たちは自分の身体と四季との関係が切れちゃったから、ずれちゃったから、それが日々のくらしの中でだんだんだんだん遠ざかっていった。そうすると本来女の人がもっている野生性っちゅうのは、現代の女の人たち、あんたたち野生性強いんだよっていわれてもへー?ちゅうんだよ。野生性男性でしょって。冗談じゃないよ、男なんか野生性も魂も弱くて大変なんだよ(一同笑)はっきりいって男性は、ね。だからそういうことも気づき始めて、そこからね、あなるほど、だから女の人は山に入る必要がなかった。女の人たちは山に入っちゃいかん、修行しちゃいかんってなってっけども、私はその概念は崩れた。女の人たちは本来野生性が強かったから、こんな修行する必要もなかったし、山に入る必要もなかった。

ところが男性は、魂弱いんだよ、はっきりいって。こっちばっかり使う。だから男性はね、野生性も魂も弱いから、こっちに頼るんだよ。頭に。ね。だから女の人たちから出されてきたものをお前論理性がないとか裏付けがないとかって、そういうことばでね、冗談じゃないよ、それの方がね、ずっと生きていくうえでいらないもんなんだよ。生きていく上で論理性や裏付けはいらないよ。ね。まさしく魂そのままで生きてたほうが、ずっと人間らしい生き方なんだよ。そういうことをね、諸々気づいていったときに、あなるほどね、山伏の世界、だから山伏たちは男っちゅうのは魂、野生性弱いから、男だけが山にこもって魂を強くして出てきたと。

だから山伏はさっきいったように、つなぎ役だから、魂強くなきゃつなげないよ、神仏は。神様仏様は見えない世界だから。見えないものを見るには魂強くないと見れない。っちゅうのは感じること。だから見えないものは見えるとか見えないとかじゃなくて、感じてはじめてのことなんだよ。だから昔の人たちはすべて、さっきいったように、山に入って清々しい生まれ変わってきそうだ、その感じたことがものすごく大事にして、そしてその後で考えて、作られてきてるんだよ。ここのことなんだね、一番大事なのは。だからすべてね、昔のひとがやってきたことを、そういう感じてきて考えたことに置き換えていくと、ものの見事に普遍的なことっていうのはすべてそう。

だからね、よく桜ちゅう花がありますよね、桜の木。その桜も、まあ桜の木も稲が伝わってきた後に桜が朝鮮半島から入ってきたっていうことを聞いたんだけども、そうすると日本は南から北にね、桜前線っていうじゃないですか。桜前線。そうするとこの稲が始まるころに桜の木は咲く。そうすると昔の人はこの桜のさ、くら、で桜っちゅうのはさ と、 くらっちゅうんだね。ことばは。さ、というのは、このコクレイ●だとか、イナダマ●だとか、そういう、さっという。くらというのはね、岩座のくらだから。これは早稲だよね。だから神様がおわす木。花。桜。そうらしいです。だから日本はちょうどたんぼが始まるころ、桜が咲くじゃない。ね。だからこの、まさしく稲がね、植えられる。そうすると田の神様が田んぼが始まる。その田の神様が降りてきて、それが桜に花に降りてきて、そしてそれを田の神様と人間が一緒にお祈りをして、そしてお祈りが終わった後に食べてお酒をいただく。花見ですよ。まさしく。祈りが残ってない花見だ。

だからそれも、田んぼが始まる前に、昔のひとは田の神様が降りてくると思ってるから、そうすると桜というのはその田の神様が降りてくる木なんだ、って感じてそうやって考えてきたわけだ。だからひとつひとつものすごくいろんなことが私にとって、この感じたことを考えるという、そういうフレーズで昔から伝わってることをみるとね、全部そうだね。だから時に日本の場合は明治になってからじゃないでしょうかね。考えなさい考えなさい考えなさい。欧米文化がどんどん入ってきて、ね、そして仕舞にはこの、我々は自然という言葉もね、自然と言ってる言葉も昔ね、あの旧制までは”じねん”って読んでたんだけども、そのじねんってことばの中にはこの、山川海草木、人、ね、そういう含めてじねんといってたっていう話を聞いたんだけども、そのじねんっていうことばを、こんど欧米に訳すときに、定かなことか、ちょっと人から聞いたことだからわかんないけども、このじねんちゅうことばを森鴎外が、ネイチャーって訳して、欧米に紹介した。

だから、そのネイチャーにしたから、ね、もうそのころ欧米では完全に外れてたから、人間は自然の中には欧米は入ってないから、それで日本も後みんな外れちゃった。そういうことしかりね、であと3分前になっちゃったんで、なんでしょうな、それでね、最近こないだね、そんじゃ先達が一番感じたことで新しいことなんですかって聞かれたの。今一番感じたことなんですかって。それはね、今年はね、ほんと5月からずっと修行修行修行なんですよ。で5月6月はね、リョウザンゼン以外のハケン●の山、東京淡路島の、この山からね、茨城の山、長野の山、そして4月になると出羽三山の山で7,8.9と3ヶ月間、毎週修行です。

だからね、多分わたしの魂はね、9月の終わりくらいにはばんばんになってると思う。そういう状態で私が月山に立ったときに、湯殿山、月山2000メーター、湯殿山1500メーター、湯殿山みたときに、あ、湯殿山に飛んでいけそうな感じがする、ってなったの。湯殿山に飛んでいけそうだ。そう感じたときには、閻魔行者が大島から富士山に飛んでったってあるでしょ。で、大島から富士山に飛べる分けない、どう見ても。だから閻魔行者も大島から、なんか俺富士山に飛んでいけそうだよって言ったと思う。行けそうだと感じたこと、行けそうだい。それを聞いてた人が、閻魔行者は富士山に飛んでったってなった。だから俺が月山から湯殿山みたときの、そういう状態じゃないかなあ。

だから、感じたことっちゅうのはね、そうして伝説や神話って作られてきたんじゃないのかな。感じたことを考えて。だから今我々に必要なのは、現代人が感じたこと、どんどん感じたこと、感じていくこと、そのことが、新しい伝説や神話になっていく、そこのところをわれわれはしっかりと気づいて、どんどん魂が強くなるような場に身をおくこと、でないとどうしてもここでやっちゃうから。感じたことがね、頭で考えたことが勘違いした人がいたの。うん。だからようは、これはあと、あと。ようは魂をどんどん強くなるような場に身体を置くこと、そうすると魂を鍛えて、そういうなかで感じたことを考えていくこと。

そうしていくと、絶対私自身としては新しい伝説や神話が、われわれがそう、していくことで、100年後200年後の人たちがなるほどね、でないとどんどん人間がいらなくなっちゃうもの。はっきりいって。もう人間にかわってロボットがなんでもやってくれる、ね、そういう時代になちゃってるわけだから、われわれはしっかりとここんとこで人間本来の、そこのところをがっちり感じることなんだよ。感じる感じる感じる感じる、おわります。

(会場拍手)



司会:ご準備を整えていただいておりますので、2人目のご登壇者ご紹介させていただきます。編集者でいらっしゃいます、松島倫明さんでございます。

松島:よろしくおねがいします、松島です。

(会場拍手)

司会:講演のタイトル、「Go Wildなライフスタイルin鎌倉」ということでございますので、それじゃあよろしくお願いします。

松島:よろしくお願いします。Go Wildなライフスタイルin鎌倉という御代を本日はいただきましたので、それでお話をしたいと思います。で簡単な自己紹介もいただいたんですが、書籍の編集をしています。で主に翻訳書が多いんですけども、10年くらいやっていまして、デジタル系の話題の本なんかもやっているんですが、もう一つフィジカルな、身体を動かす系のものもたくさんやっています。そちらの方の、今日は手がけてきた本なんかをちょっとご紹介がてらこのお話をしていきたいと思います。

でそん中でも野生3部作と言われている、あの僕がいったんじゃないですが、どなたかが言ってくれたものがありまして、Born to Run ですとか、Natural born heros 、go wild、こういったものを出していますということと、もう一つはもともと僕は東京生まれ等今日育ちなんですけれども、40を超えて妻と二人で、もうほぼ3年前くらいに鎌倉に引っ越してきまして、そっから鎌倉ライフをいろいろと楽しんでいますということで、何かこのタンブラーみたいなものでビジュアルというのもやっていますということです。

で本日の鎌倉のgo wildなライフスタイルなんですけれども、それがどういうものかというと、こんな感じのイメージです。

(会場歓声)

あの、山伏の次はヒッピーかと思われたかもしれないんですけれども、彼は本当にヒッピーっぽいものだと思うんですが、アメリカで100マイルという、160Kmくらいを走るトレイルランのレースなんか、100マイルレースというのがあるんですけれども、それでもう何度も優勝しているような、世界的にも有名なトレイルランナーでして、僕はあちらにいるオギノさんなんかと一緒に今年の8月にボルダーの方に。で彼がランマインドフルネスリトリートというものをやっているんですが、ようするにその、山の中を走って、瞑想して、ローカルな、オーガニックなものを食べて、っていうのを3泊4日でやるリトリートがあったんですけれども、そんな、ようするに走るとか、瞑想するとかじゃなくて、それをこうライフスタイルの中にどう落とし込むのかっていうのを体現している、で体現していて、走ると世界チャンピオンになっちゃうような人なんですけれども、そんなイメージを鎌倉にどうやってもって来れるかっていうのが、今の僕の一つの大きなテーマになっているのかなというふうに思っています。

で、あの、先達の先ほどのお話とも関係してくると思うんですけれども、例えば先達の、7月の山伏修行、ぼくも実は参加させていただきまして、妻と一緒にいったんですけれども、妻、外国人なんで、あんまり山伏っていう伝統をよくわかっていないんですけれども、ぼくも連れてくときにあんまり説明しないで、なんとなく山を走ってメディテーションするって(笑)いう説明だけでいったので、彼女はなにかそういうリトリートだと思っていったら、なんかいきなり白装束にさせられて(会場笑)、3日間しゃべっちゃだめって言われて、もうみんながあれは家庭内虐待なんじゃないかって、こう責められているんですが。彼女自身はちゃんとコンプリートして最後はすごく、はい、大満足でかえっていきました。

はいすみません、なんか話が飛んじゃったんですけれども(笑)あの、まあ先ほどのお話で、ほんとにじゃあ脳じゃなくて感じるんだっていうお話と、うまく響き合ってくるといいなって思うんですけれども、まあこういうなんでしょう、じゃあ鎌倉生活に入るもっとも最初の起点になったのは、実はこの「脳を鍛えるには運動しかない」という本を2009年に刊行したんですけれども、これは著者は脳科学者で、臨床をご自身でもやっていて、さまざまな人たちをみているんですけれども、運動って言うのが身体にいいっていうことは僕ら、何となく分かっているし、習ってきたことだと思うんですけれども、そうじゃなくて、身体に影響する前に実は脳に影響してるんだ、その脳を実際に作るのに、実は運動っていうものがいかに大切かっていうことを、科学的に、かつそれを臨床的に書いた一冊になります。

で、これ今でもすごく非常に売れ続けている隠れたロングセラーなんですけれども、実際にそれが脳の、ようするにシナプスがどんどん生まれて繋がっていくみたいなことが今脳化学が発達しているんで、かなり分かってきているんですね。でそういったものを、それがその学習能力にもいいし、それだけじゃなくて例えば鬱ですとか不安症ですとか、ADHDの子どもですとか、そういうひとたちにも効くんだっていうことを臨床的に解いてきた本になります。でその中の一つ、最も象徴的なのが、朝の0時点運動っていうのがありまして、これはアメリカの話なんですけれども、アメリカの小学校で1時間目が始まる前にみんなを走らせるんですね。

でそれも、別にこうスピードを出して走らせるんじゃなくて、うまく心拍をあげて、なんていうんでしょう、有酸素運動をさせるんです。そうすると有酸素運動をした、朝走ったあと1時間目とか2時間目に習った授業の成績が、如実に上がったっていうのが、統計でしっかりと出ている。そういう科学的なバックアップっていうのもあります。ですので今日も、その僕らが皆さんハイクしてきましたよね。うまくその有酸素運動で走ってきたんで、今脳はまさにこの僕らの話を吸収できる状況になってまして、午後のスピートの方、大変申し訳ないんですけれども(一同笑)

あの、今僕と星野さんは、先達はいいところをもっていけたのかなという風に思っています。結論は、脳は筋肉のように鍛えられるということが、最近の脳化学で、完全にわかってきている。ようするに、脳を鍛えたかったら、脳トレとかをするんじゃなくて、身体を動かそう。で、そのメッセージによって、ぼく2009年ごろもっと太っていて、ほんとにただ単にここの贅肉をとるためだけにジムにいって走って、ラットのようにランニングマシンの上をばーっと走ってたんですけど、この本を読んでから、走るのってそうじゃなくて、ああ脳にいいんだ、で、多分ランナーの方ってみんな実は気づいていて、走ると脳がクリアになってるっていうの。みんなわかってると思うんですよ。で、そのことをある程度か学的にバックアップしてくれたという一冊になります。で、それを読んでぼくもほんとに走るようになりまして、いつの間にかレースにも出て、フルマラソン走って、その後トレイルランなんかもやりだして、50kmとか100kmとかそういうレースを走るようになったんですけれども、そんなころに、その脳を鍛えるには運動しかないという、このジョンベイティーさんの新しい本としてこのgoWild、野生の身体を取り戻せという一冊が新しく出まして、これの原稿を読んで、僕は鎌倉に移住を決めたという、そういう一冊になります。

で、この本サブタイトルがちょっとみえにくいんですけれども、サブタイトル「科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネスっていう、3つ、トレイルランと食事とダイエットと、マインドフルネスっていうのを、等価に並べたサブタイトルにしてるんですね。それはかなり意識して並べたんですけれども、ようするに1つ1つが何か独立してあるのではなくて、その3つが等価に並ぶようなそんな価値観、そういうライフスタイルっていうものを、これからもっと現代の、僕らが、いわば野生を忘れてしまっている僕らにとって、その目線でもう一回アプローチするのが大切なんじゃないか。ようするにそれまでは、例えば走ることだったらこう、マラソンを4時間以内で走りたいとか、トレイルランを100km完走したいとか、そういう形でランニングっていうものにのめり込んでいく。

それはしかも脳が働いていてすっきるするなと思っていたんですけれども、そうじゃなくて、もっとそれが野生を取り戻すっていう意味でのライフスタイルの中に取り組もうっていうことで、この3つのものを同じ文脈から論じた初めての本になります。で、このポイント、野生の身体を取り戻すポイントというのはなにかというのを一言でご説明すると、われわれは人類ver1.0であるっていうことですね。今パソコンとかスマートフォンとか、みんなすぐOSとかアップロードしてくださいってくると思うんですけど、どんどん新しくなっていく。技術、テクノロジーっていうのはどんどん新しくなっていくんですけれども、僕らの身体、身体だけは、アップデートしないんですね。

人類っていうのは20万年前くらいに生まれてきて、進化してきて、そっから何か、なんでしょう、水の中を5時間くらいいられるようにもなってないし、腕が4本に増えるわけでもないし、僕らの身体はずっとこのバージョン1.0のままくらしている。でただ単に文明、僕らの文明社会っていうものだけがどんどん変わってきていて、そうするとこの身体っていうものと文明っていうものの間にかなり齟齬が出てきているよね、っていうのがこの本の基本的なメッセージになります。その1つが、例えばその野生の食事っていうのがありまして、ここに炭水化物と文明、パレオダイエットっていうのがあるんですけれども、パレオダイエットっていうのは2013年にグーグルで一番検索されたダイエット法と言われていて、欧米ではすごく注目されているんですけれども、その基本コンセプトは何かっていうと、ようするにぼくらの身体っていうのは20万年間ずっと人体1.0だ。

でも農業が始まったのって1万年くらいまえっていわれてるんですね。日本だともっと遅いと思うんですけど、5000、6000年だと思うんですけれども、そうやって農業ができて、社会ができて、ヒエラルキーができて、っていうものが始まったのは高々数千年だと。でも僕らの身体っていうのは20万年前から変わってないんだとしたら、じゃあ今みたいに6割7割のカロリーを炭水化物からとってるっていうのははたして、人体にとって本当にあってる食事なんだろうかっていう、そういうコンセプトなのがパレオダイエットです。でパレオっていうのはパレオリスィックっていう、旧石器時代っていう意味なんですけれども、ようするにじゃあ濃厚を始める前の農耕っていうものに戻ってみよう。っていうのがコンセプトで、いうなれば今みたいに、ようするにラーメン注文してチャーハン一緒に食べるみたいなのはやめようかっていう話なんですけれども(一同笑)

だから多分20万年前でもなんでもいいんです、5万年前でもいいんですけれども、多分そのころの人たちって、例えばマクドナルドとか食べてないんですよ。で加工食品も食べてないんです。そういったものを取り去るだけでも、やっぱり相当ダイエットって違ってくると思うんですよね。で僕も3年くらい、あまり厳しくない、ゆるゆるとやっているんですけれども、鎌倉にきていいなと思ったのは、鎌倉廉売という、野菜を売ってるファーマーズマーケットもありますし、小坪の方にいけばフィッシュマーケットもあって、ようするに今旬のものがそこには置いてある。

で、ぼくは東京にずっと住んでたころはまあスーパーいくんですけれども、まず今日なにか食べたいな、何でもいいんですけれども何か青椒肉絲が食べたいなと思ったら、行けばそこにはピーマンとかいろいろ売ってるんでそれを、メニューを決めてからその食材を探しにスーパーにいくんですけれども、それが鎌倉にきて変わったのは、そういうフィッシュマーケットとかファーマーズマーケットとか、そこにあるもの、これが新鮮で今日採れた旬のものなのかなとおもって、じゃあこれで何が作れるのかなっていうことに考え方が変わってきたんですね。で多分、野生の食事っていうことで、パレオでもなんでもいいんですけど、根本は多分そういうことなんじゃないかなという風に思っています。

だから炭水化物も、最近、僕先週までフランクフルトのブックフェアにいってきたんですけれども、大体最新のタイトルが出てきて、来年とか再来年この本がでますって紹介されるんですけれども、最近はDNAダイエットみたいなのが、今回のフランクフルトでは大変注目されてる1冊で、多分そのうち日本でもでてくる、翻訳されて出てくると思うんですけれども、ようするに炭水化物1つとったって、食べていい人と良くない人がいる。それはDNAでわかれてるんだみたいな、もうどんどんどんどんそういう風に細分化されてるんですね。そのDNAだけじゃなくてやっぱりもっと本当は腸内細菌だみたいな、それは多分ナガヌマさんが後で色々と教えていただけるんだと思うんですけれども、ダイエットはとにかくいろいろなものがあるんで何かお勧めするっていうことはないんですが、ベーシックなものとして、やっぱり身体にとってなにが一番自然なのかっていうことを考えてとりましょうっていう、そういう方向性としては、野生の食事っていうのが1つ、鎌倉ダイエットの中でもできるのかなっていうのと、もう1つは野生の動きっていうことでトレイルランニング、裸足ランニングっていうことを書いているんですけれども、先ほど冒頭にちょっと紹介したborn to runという本は、これはもう世界で何百万部って売れてる大ベストセラーなんですけれども、来年くらいハリウッドの映画にもなるらしいんですけれども、そこで述べているものも1つ、やっぱりキーワードは野生なんですね。

でその著者っていうのはアメリカ人なんですけれども、2mくらいあるすごい巨漢で、ある日ランニングを始めようと、その走り出すと体重も重いし、すぐ膝とか足とかいたくなっちゃうと。で病院にいくと、もうそもそも人間っていうのは走るのに向いてないんだ、特に君みたいな巨漢なか走れるわけないんだから自転車なんかやってろって言われて、そうなのかなと思うんですけれども、そこでふと、メキシコの方に走る民族っていわれる先住民族の人たちがいるっていうことを知るんです。で彼らはこういうサンダルをはいて、基本的には現代文明からちょっと隔絶したくらしをしているんですけれども、彼らは結局なんでしょう、ぼくらみたいな最新のシューズもはいていなければ、ランニングの何か科学的なメソッドがあるわけでもないし、パワージェルみたいなものをとってるわけでもないし、でも走る民族と言われていて、お祭りなんかがあると100kmとか200kmとか走っちゃうんですね。

そのグランドキャニオンみたいなすごく大きな渓谷に住んでるんですけれども、走ってしまう。じゃあ彼らは、全然ぼくらみたいな現代的なトレーニングも何もしていないのに、なぜ走れるのか。医者は、人間は走るのに向いてないっていっていたけれども、じゃあ彼らは何なんだっていうことで、実際にそのメキシコの大渓谷までその疑問を解きにいく、一大物語がborn to runなんですけれども、その中でわかった一つのことっていうのは、さきほどの食事とおんなじなんですが、人間やっぱり20万年かけて進化してきて、進化の理由の一つっていうのが実は持久走量をやってたんじゃいかっていうんですね。

サバンナの中で僕らはチーターほど早くもなければ象みたいに力強くもなくて、こんなひょろひょろで毛もない動物がじゃあどうやって生き延びられたのか、どうやって他の種たちを補食できたのかって、実は長く走る能力が4時間とか、ゆっくりゆっくり4時間走り続ける、動き続けるっていう能力が、走り続ける能力が僕らにあったことで、動物を追いかけてつかまえたんじゃないかっていう仮説があるんですけれども、少なくとも20万年前、でもなんでもいいんですが、1万年前でもいいんですが、僕らは別にナイキのシューズはいてたわけじゃなくて、ずっと裸足とかサンダルで走ってたはずなんです。で、僕らがシューズっていうものを、ほんとに底がふかふかのシューズをはいてはしりはじめたのって、この40年くらいなんですね。

70年代くらいにランニングシューズっていうものができて。そこから人々は走ると怪我をしだすように、ランナー膝とかありますよね。大体みなさん、何か一大決心して走り始めるとすぐに怪我をして、やっぱり僕には向いてなかったんだみたいな話になるとおもうんですけれども、それは実はシューズを履き始めたからだっていうのがborn to runの1つ大きなメッセージで、今は出しランニングっていうのが1つの大きな潮流になっているんですけれども、それもなので先ほどの話と全くおなじ話なんです。そもそも僕ら人間は、野生としてどういう風に、その先ほどの人体1,0の話そのままなんですけれども、そっからもう一回走るっていうものを考えてみたときに、こういった裸足のランニングっていうのがあって、あともう1つトレイルランっていうのは何かっていうと、これも同じです、じゃあ昔の人は舗装した道路をずっと走ってたのかとか、何か機械の上をずっと30分ぐるぐる回ってたのかっていうと、そうじゃないですよね。

そうじゃなくてもっとこう、皆さんが朝まさに体験されたような、もうでこぼこで気の根っこがあって岩があって、木がこうあって、そういう中を身体を動かしながら動いてきた。或は走ってきた。そういった中で木が風でゆれる音とか、花の香りとか鳥の声とかそういうものを五感ですべて感じながら、しかもこうやって動いている。で先ほどの脳を鍛えるには運動しかないを思い出していただきたいんですけれども、そうやって動いている間って脳が一番働いているときなんです。だからその脳が働いて、全身を使って動いてる中で、人間っていうのは進化をしてきた。それがそもそもの野生の動きだっていうのが、すごく重要。だから多分ランニングはすごくすばらしいことだと思うんですけれども、僕はやっぱりトレイルランのすばらしさっていうのはその自然の中を走る、或は自然の中で単調なこの足を上下させるだけじゃない動きができるところが一番ポイントなんじゃないかと思っています。

で、鎌倉はこう走ろうという、僕ら鎌倉の中でもトレイルのコミュニティがあって、鎌倉のトレイルってちょっと問題になってるんです。やっぱりハイカーの方たちとぶつかるんじゃないかっていうのが言われていて、僕らトレイルランナーの中でもコミュニティとして、いかにトレイルっていうものを全員でシェアするかっていうことを、カルチャーとしてちゃんと作っていこうって。これこの前ボルダーいったときなんかもそうなんですが、アメリカだとみんなちゃんと全員が相手をちゃんと配慮しあって、ちゃんとできている、山の中での文化っていうものの成熟度っていうものも、ちゃんと成熟さえていきたいなってという風に思っています。

で、もう1つ野生のこころということでは、もうまさに野生のこころはマインドフルだったということが、そのgo wildの中でもマインドフルネスっていうことなんですけれども、さきほども持久走量でもそうなんですけど、トレイルを走るっていうのがまさにそうですよね。一歩一歩、ほんとにマインドフルに、一歩一歩踏んで進めていく。だからそこに対してすごく気持ちが入るんだけれども、一方でそういった自然の香りとか音とかっていうものをきいていく、そういったマインドフルな野生の心っていうものを体現できる、そういったフィールドにならないかという風に思っていまして、昨日もやったようにこれはですね、ちょうど七里由比ケ浜ですね、で最近はマインドフルリトリートっていう、一番最初に出たヒッピーのお兄さんのやっていたようなことを、やっぱり鎌倉ってできるんですよ。

ゆっくりとトレイルを走って、その後そのまま海に降りてって、海の前で座って瞑想して波の音を聞きながらってすごいきもちいいんです。昨日も実はやったんですけれども、オギノさんもちょっと主催されてやったのをお手伝いしてきたんですが、そういったなんていうんでしょう、1つですね、鎌倉って小町通歩いて大仏見るだけじゃないよっていう、そういう違う価値観っていうのを鎌倉から出していけるといいなって思っています。もう1つはバイオフィリアっていう、これはですね、まあこれ日本語では野生っていうことなんですけれども、僕らその野生の身体ってどうしたって自然のことが大好きなんですね。

見晴らしのいいところに言ったときに、みんなでわー、おーってなるのは多分動物って身の危険とかもあるんで、藪の中にいるよりも、見晴らしのいいところに自分の身体を置いてるとリラックスするんですよ。ですとか、例えば森林の近くに住んでるひとたちっていうのは、外に住んでる人たちよりもがんになる確率が低いとか、或は工場の中に例えば植物がちゃんと置かれていると、欠勤する割合、労働者が欠勤する割合が如実に下がるとか、いろいろあるんです。いろいろもう科学的には出ていて、そういったことっていうのは確実にあるなっていうことを皆さんもう一回意識し直すと、できればという風に、もう時間がないんですけれども、トライブ、同族意識、その野生におけるトライブ感っていうものも大切で、こうやってお話しするのもそうなんですけれども、トレイル歩いたり、一緒に走ったりすると、もうそれで友達なんです。

友達の垣根が何段階か一気に抜けちゃう、そのトライブ感っていうのも野生の中に組み込まれているんじゃないかっていうことが一つと、もう一つは鎌倉っていう場所で鎌倉ライフを語れということなんでご紹介させていただくと、鎌倉ってある程度17万人くらいの人口だと思うんですけれども、そのこじんまりとした中にさまざまな伝統というかひとびとが集積しているっていうは、僕はすごく大きいことだと思っていて、なんでしょう、東京といききしてる人もいるし、鎌倉でいろいろな面白いことをやってる人もいるし、ですごくこういったお寺という意味では、伝統のレイヤーにいる人から、例えばすごく現代的なことをやってる人までが同じ、様々なレイヤーが積み重なって、しかもある程度狭い中に集積するっていう意味で、非常にコミュニティとして面白いものになってる、鎌倉の特異性っていうものがあるんじゃないかなということで、この鎌コンっていうのも1つここにある、町を熱くしたい人、ITで全力支援しますという、ものなんかもありますし、今日午後ミキさんがご紹介するんですけれども、禅2.0みたいな、新しい禅のカルチャー、禅とマインドのカルチャーをこれから出していこうっていうことを、鎌倉から発信しようみたいな。

まさに今日の鎌倉会議もまさにそうなんですけれども、そういったものが生まれる町かなという風に思っています。で、最後なんですが、結論駆け足だったんですが、野生の脳をもう一度もちましょうということです。で、それはどうやったら持てるのかっていうと、身体がインターフェースなんですね。身体を通して野生の脳っていうのは生まれてくる。で、その、身体をインターフェースにして、野生の脳を持つ為のフィールドとして、この鎌倉っていう場所は非常に面白い場所なんではないだろうかという風に思っていますということで、駆け足でしたがご紹介とさせていただきます。ありがとうございました。

(会場拍手)


司会:稲葉俊郎様でございます。講演のタイトルは頭と身体の使い方ということでございますので、稲葉様どうぞよろしくお願いいたします。皆様盛大な拍手をお願いいたします。

(会場拍手)

稲葉:はい、よろしくお願いします。ぼくは一臨床医というか、医者なんですけど、星野先達の話を聞いて僕も学生時代山岳部で、年間のうち100日くらい山に登ってたんですね。ほぼ金曜日の夜から山にいて土日帰ってきて、月曜日くらいに学校に帰ってきて、火曜か水曜になると山のこと考え始めて、金曜日にまた山に行くっていうかんじで、もう学生時代はずっと登山をしてまして、それはなんでそこまで登山を冬山とかにずっと2ヶ月こもったりして、山をやってたんですけど、今思うと結局自分の中の問いに応えてくれる人がいなくて、自然って言う存在しか自分の問いを受け止めてくれる存在がいなかったというか。

まあなんか大人の人が答えてくれる話っていうのは、何か常識的な話なんですけれども、ほんとに自分の中の腑に落ちる話じゃなくて、結局それで自然って言うものの中で、自分はある種、生命っていうのはなんなのかとかですね、人間はなんで生きてるのかとかそういうことを自分の中で問うために自然のなかに入ってたなっていうことをよく、なんか思い出したというか、星野先達の話を聞きながら思い出したんですけど、なんていうか、そのときに僕が感じたのが、生命っていうのがずっと歴史の中であって、人間の身体もその連続性の中にある。で、そのときに身体がうずいたのがへそのあたりだったんですね。

でへそってやっぱりお母さんと胎盤で当時つながってた場所で、まあトポスで、昔もともと丹田、ここで身体の中心はここで考えるっていってたのは、ぼくはなにか生命のつながりみたいな、そういうことを僕は実はいってるんじゃないのかなって、丹田っていう言葉の中でですね、思ったんですね。でぼくは今回そういう頭と身体っていうか、禅とか瞑想っていうのは結局頭と身体の関係性の話だと思うんですけど、まあちょっとその話をする前提として、歴史的な話が僕は結構大事かなと思ってるんで、歴史の話をしようと思います。

で歴史っていうのは脳の歴史の話なんですけど、その前にですね、脳と身体っていう話をするときに、必ず僕一番大事なのは部分と全体の関係性だと思うんですね。常に部分っていうのは全体の中にあって、全体は部分のためにあって、それは相互に補完し合ってると。で人っていう存在が命っていう全体の中でどういうマッピングになってるのかっていうと、まあこの図は後ろの方みえにくいと思うんですけど、けばだって表面上に全部あるのにいろんな命の、名前が書いてあって、これリボソームRNAって、それぞれの細胞の中にタンパク質をつくる工場があるんですけど、それを遺伝子で並べていくと、一番単純なものからどんどん複雑なものに変わっていって生命が進化していってるであろうと。そういうことでリボソームRNAを簡単なものから複雑なものに並べていった図なんですけど、そうしていくと大体ですね、命っていうのはこの菌、細菌って言う世界と植物と動物の世界にわかれて、人っていうのはこの動物の中の一部にいます。

これはまあある意味単純なものが複雑化していった歴史なんですけれども、大事なのは別に人って言うのが一番優れているものではなくて、単にそれは展開していったというか、多様性のもとに単純なものが複雑化していっただけの話なんですね。でそれはある種曼荼羅図のような図になっていて、縦のヒエラルキー的な構図じゃなくて曼荼羅みたいなもので、単純なものは単純なものとしてずっと続いているし、複雑なものは複雑なものって。その中の一つに人っていう存在がいる。で人っていうのはそれでものすごく複雑かしていったんで、身体っていうのも複雑になっていきまして、身体っていうのも全体性がある。

でこれはレオナルドダヴィンチの絵ですけど、ダヴィンチもずっと身体のシステムを研究していた人だと僕は思うんですけど、身体にもそれぞれ脳があったり筋肉があったり骨があったり神経があったり血管があったりいろいろあって、それぞれ全部お互い部分と全体が連関し合っている。でただやっぱりなんでも、例えば頭のことに注意がいったり心臓に注意がいったり腸に気がいったり、どうしてもこう、何か部分の方にフォーカスがいってしまうんですけれども、大事なのは身体っていう全体性の中で部分っていうのが役割を果たしている、いうことだと僕は思っている。常に部分と全体の関係に帰らないといけないと。

でそれが座禅とか、脳と頭、脳と身体の関係を考えるときも僕は大事なことだと思います。で例えば身体っていうことに関しても、結局表面の話がやっぱり取りざたされやすいんですけれども、身体っていうのは結構みえないところにものすごいいろんな仕組みがあって、例えば左は骨で右は筋肉ですけど、左の仙骨っていうのは英語でホーリーボーンっていって、聖なる骨っていって元々名前があるんですけど、これなんでそういう名前になってるかっていうと、これは上肢と、上と下をつないでる場所が仙骨なんですね。

これは生命が海から陸に上がってきたときに、両生類ぐらいのときに仙骨ができてるんですけど、つまり仙骨っていうのは上と下をつなぐ意味で極めて重要な場所にある。ですけど、皆様座りながら仙骨を動かせる語っていますか?仙骨。仙骨ってじつは結構動かせるんですけど、多分無意識にほんとは動かせるんですけど、意識的になかなか動かそうと思わないと動かせないと思うんですけど、いわゆる芸能、伝統芸能とか、ぼくもお能をやってるんですけど、能の動きとかでこの仙骨って結構大事なんですね。伝統芸能の中で立ったり歩いたりするときに、この仙骨を返したり戻したり、骨盤を前傾させたり後継させたりするっていうのは実は結構身体の動きで大事で、これはつまり身体の奥のところにあって身体を本当に支えてるものなんですけれども、なかなか気づきにくい場所にある。

ですけど結局そういうスピードじゃない、芸能とかですね、そういうところではこういう骨の動きは重用しされていると。これは実際骨盤底筋っていって、骨盤の底にあるところの筋肉、まあようはお尻の穴を閉じる筋肉と連動してるんで、すごく簡単にいうとお尻の穴をぐっと閉じると仙骨連動して動きますけど、これはいろいろ自分でご自身で追求されると分かる世界です。(一同笑)で仙骨って仙腸じん帯っていって人体にもつながってほんとは人体も動くんですけど、これも日常的に動かしてないとこれはなかなか動かない。

でもこれは実はものすごい姿勢において大事なんですね、仙骨の上に脊椎が上に立ってますんで、仙骨がちゃんとささえてないと腰痛、腰が痛くなったり姿勢が悪くなったり、バランスが崩れる。でそれと一緒でですね、筋肉にも身体の表じゃなくて奥の筋肉があって、これは深層筋とか、それこそ多分一照さんがお好きな世界だと思うんですけど、例えばこの大腰筋とかっていう筋肉とかは、これは脊柱、身体を中心に貫いて支えて骨に直接くっついてる筋肉で、まさに姿勢を支えている筋肉なんですけど、こういうのも普段は中々意識しない。けど人間の身体を支えてるのは実は表面の筋肉じゃなくて中心にある骨だったり仙骨だったり、脊椎を支えている筋肉だったりする。

ですけど筋肉って言うのはもともと、骨をアシストするためにあるのがもともと筋肉なんですね。ですから一照さんと座禅すればわかると思うんですけど、一照さんの筋肉の基本的に追求するところっていうのは人間の骨組みの世界だと思うんですけど、人間の骨っていうのがどういうような形で人間の身体を支えていて、それを筋肉が支えている、その感じを味わうのが、禅、座禅のほんとの、なんていうのか一番重要なとこだと思っていて、その辺りはほんと一照さんは本質を僕は教えられてるなととても思います。でそういう風に身体っていうのは、すごく奥の深いところと表面の浅いところが連動して、部分と全体が連関してるんですけど、それと全く一緒でこころっていうのも同じような構造を持ってます。

つまり私たちが意識できる表層の意識と、意識できない深層の意識、まあ意識と無意識といってもいいですけれども、こころにもそういう層構造がある。でおそらくこれなぜこのようにできたかっていうと、多分人間の身体が、一個の単細胞から百兆の多細胞っていうこういうシステムになったときに、全てを日常的に意識して生きることができなく多分なったんですね。運営上。つまり心臓の鼓動1秒間に1回意識しながら動かないといけなくなったりすると大変なことになってくるんで、腸を消化しないと、意識しないと消化できなくなるのは大変になってくるんで、そういうのは全部無意識に任せる。で意識できることは意識できるものが担当する。

その意識できるところはいわゆる能とか神経系が担当する領域で、無意識のところはどっちかっていうと身体を支える植物的な臓器ですね。内臓とか、身体の奥の場所を支えてるのが無意識が担当するようになったと。その人間のこころのそういう構造、部分と全体に分かれていってるんですけれども、じゃあその人間の表面、表層意識の私たち意識できる世界の、まあ脳の世界ですね、で脳の世界っていうのは元々、こっから脳の歴史の話に入りますけど脳っていうのはどういう風にできていったかっていうと、元々はですね、この1本のニューロン神経細胞からできてるんですね。

この神経細胞がどんどん複雑化していって、縦にはしご状につながっていって、中枢神経と末しょう神経っていうのに分かれていったと。中枢神経っていうのは本部みたいなところで、末しょう神経っていうのは支部みたいなもので、その本部が脳になっていて、支部が運動神経感覚神経になってると。じゃあもともと神経っていうのは何の役割があってこの世に生まれてきたかっていうと、これは入り口がまさに星野先達がいった、感じるためですよね。感じる、ものごとの世界を感じると。その情報を中で伝えると。それが神経。五感で入れて、中の神経で配る。でそれを外に出すのが運動。ですからもともと神経っていうのは何か外側のものを取り入れて、それを身体の中に情報として配って、それを運動系として出すと。そこの間をつなぐためにもともと神経っていうのはできてきてるんですけれども、どんどん身体が一個の単細胞のときは比較的単純だったのが、10個、1000個、1万個、100万個、100億個、100兆個ってなったときに、人間の身体はこれが複雑化していった。っていうことだと思います。

ですけれど一番大事なのはこの五感、身体を、まず外を感じていれると。でそれを中に配って、それを外に表現して運動として出すと。この仕組みの中に神経は生まれているっていうことですね。頭っていうのはこの神経、五感と運動の間にありますんで、これをうまく円滑に運ぶこともできるし、逆にいうとそれをじゃますることもできると。そこが神経系の矛盾する性質を持っているところだと思います。神経っていうのも基本的に実態がないもののような気がするんですけど、基本的に全部これは物理的に具体的なものなんですね。それはこう神経細胞っていう、いわゆる単細胞ですね。単細胞のものが集まって多細胞化する。例えば右下にあるやつは1250倍でこれ赤色のやつがグリア細胞っていうやつで、青色の小さい細胞が神経細胞なんですけど、グリア細胞っていうのは神経のネットワークを支えるような感じで大きく、あるものが、なんていうか足場を作っているのがグリア細胞だといわれています。

でその間を入り乱れているのがいわゆる神経細胞で、ニューロンとしてつながっていると。でも一つずつは全部単細胞で、それはそれぞれ生きて、1個1個の細胞は生きてるということです。ただ私たちは例えば何か考えた李ですね、いわゆる思考、頭で考えたりしますけど、人間の身体100兆個細胞がある中で、脳の細胞っていうのは実はそんなに多くないんですね。で一般的に大脳、このいわゆる大脳ですね、大脳だけで大体せいぜい200億個くらいっていわれてまして、脳から小脳とか脳幹とか間脳とか脊髄とか、末しょう神経運動神経、全部いれてもせいぜい2000億個しかないと言われてるんですね。ですから簡単にいうとですね100兆個のうちの99兆9千何百億くらいが実は他の細胞が全部担当してるんですけど、ただ結局今はすごく頭に支配されて、ほんの200億2000億くらいのところに影響を受けすぎていると。

で人の身体っていうのはそれだけ99兆7000億っていう他の命に支えられてるんですけど、それでも全部1つ1つが単細胞でもある種の生命体みたいなもんですよね。だから僕はほんとに生命体が重なり合って人間の身体ができてるってことが僕は大事だと思ってますけど、例えばこの、左上は触覚、マイズナー小体で左が振動核のパチニ小体ってもんですけど、これも核があってちゃんと細胞なんですけど、例えばものを触れると。例えばマイクを触れたときにはこれ触れたってわかるのは触覚の細胞が変形して、それで今何かものを触れたってことは頭に刺激を送ってると。パチニ小体っていうのは振動ですよね、身体に振動が伝わったときにその振動が変形として伝わってそれが脳に伝わってると。振動っていうのは普通の振動もありますけど、音とかも皮膚が振動して、皮膚感覚でも振動してますから、音も皮膚は振動として感じている。

でおそらくこういう形っていうのはそれぞれにですね、進化しているんでもっとも適切な形になってると思うんですけど、それぞれなんでこういう形になっているかというのは多分すごく奥が深い話だと思うんですけど、例えば嗅細胞ってこれ、匂いの細胞ですね、鼻の上にしきつめられれてる、脳と、この上に脳がありますけど、脳は鼻の嗅細胞とこの1枚でつながってますけど、嗅細胞っていうのは花びらみたいな形をしていっぱい敷き詰められてる。例えば味覚細胞もこうやってベロのところに細胞が1個ずつあって、それも甘味とかですね、苦みとか役割分担してますし、聴覚の有毛細胞とか視覚の桿状体細胞錐状体細胞、聴覚の有毛細胞っていうのも、これも音を感じたときに振動が耳の中のリンパ液を振動させて、それを耳の中に石があるんですね、耳砂っていう、その石を振動させて、その石がころころって転がったのをこの細胞は感じて音にしている。あとは桿状体細胞錐状体細胞っていうのもこれは光を感じる細胞と色を感じる細胞で役割分担しているんですけど、光の明暗だけを感じる細胞と、さらにそれが特殊化して、光の電磁波の波長でさらに色を感じる細胞に分かれてる。

こういう風に人の身体っていうのは、脳もだいじなんですけど、実はいろんな細胞が協力してできていて、例えば骨細胞っていうのも骨っていうのは常に、作って壊してっていうのを繰り返している。例えばさっきの仙骨、ホーリーボーンっていう仙骨で言うと、あれは15歳くらいから融合を始めるんですね。15歳ぐらいから5個の錐体が融合しはじめてだいたい35歳くらいで仙骨が完成すると言われているんですけど、頭蓋骨とかも一番最後の穴は80歳くらいに完全に閉じると言われているんで、骨っていうのは常に生きて連動してうごいているんですね、大陸みたいに、つながったり離れたり。それは骨細胞でも同じで、これも一つ全部の細胞としていきてる。

筋肉も、これは筋繊維っていうだけあって、細胞が繊維状になってるんで、ほとんどファイバーみたいになってるんですけど、これも1個1個単細胞で生きてると。いうことで、そのもちろん脳も大事なんですけど、僕がやっぱり重要視したいのは人間の身体っていうのはいろんな細胞があって、それは多細胞の歴史そのものなんですけれども、その中に脳もあると。でも脳はじつは少数はなんですけど、結構でかい顔をしているのが脳で、しかも後から入ってきたのに結構でかい顔するのがだいたい脳の役割なんですね。で脳っていうのはそれぞれの生き物ですごく形態が変わってまして、この左下は脊椎動物の脳え、右とか左のは無脊椎動物の脳って。

無脊椎動物っていうのは背骨がない動物のことなんですけど、昆虫とかですね、軟体動物とか海にいる生き物は結構そういうものが多いんですけど、左が脊椎動物、いわゆる動物園でみるは虫類とか両生類とかほ乳類とかですね。それぞれ脳って全部違うんですね。脳っていうのはさっきお話したみたいに、ものを取り入れてそれを中に伝えて外に運動として出すっていう、その間のつなぎをしているものなんで、結局環境に応じてどういうものを取り入れているかが違うと。ここ、地球上のこの陸だと、五感で受け入れるものは違いますけど、例えば深海、海の底だと、また違うものをキャッチしてますんで、これに応じて神経系っていうのはぜんぶネットワークが変わってくる。

例えばイカとかですね、昆虫の脳っていうのはあういう風な形になってて、昆虫はだいたい2ccくらいの脳になってるんですけど、すごくハイスペックな脳なんですね。もともとそういう風に脳ていうのも大きく2手に分かれまして、1つが微小脳っていうグループですね。で後一つは人間に代表される巨大脳っていうグループなんですけど、それぞれどっちがいいとか悪いとかじゃなくて、それぞれのスペックっていうかですね、それぞれの環境に応じて最適なものに変わっていってるんですね。で例えば微小脳っていう神経系の1つの形として小さい脳は、これはほんとうに1平方、1mmぐらいのなかに、せいぜい数十万ニューロンくらいがつまってできていると。昆虫の脳っていうのはほとんどこういう、昆虫も小さいですけど全部脳を持ってるんですね。

で基本的にこっちの方が採用してる生き物が多くて、100万種がこの微小脳の採用をしていて、巨大脳っていうのはせいぜい5万種くらい、私たち人間の脳、巨大脳っていうのは5万種くらいしか採用していないんですけれども、微小脳っていうのはどっちかっていうと小さくてコンパクトに、少ないニューロンで活動してるんで、ぱっと運動したりする動きっていうのを見るのに長けてるのがどっちかっていうと微小脳なんですね。それに対して巨大脳っていうのは巨大化してるんで。、精密に、形を精密にみていくっていうものに適したものに進化していったものが巨大脳であると。いうことです。そういうことで、脳っていうのは基本的に外のものを取り入れて、それを身体の中のネットワークで情報を伝えてそれを運動として出すと。

基本的に役割としてできてきてますんで、感覚と運動をつなぐものが神経なんですね。ですから環境とかに応じて形態が変わってきていると。その中で人間の脳っていうのは極めて特殊な形に変わってきているんですけど、例えば左下にあるヒドラっていうですね、生き物っていうのは散在神経系っていってですね、ヒスと一緒でですね、神経っていうのはまったくまとまりがなくて全部散在しているんですね。ですから統合されない。ですけどこうなると学級崩壊みたいな感じでまったく統一感がないんで、バラバラだ。ということでだんだん統一させようっていうことで、機運がでてきて、プラナリアバッタカエルとかってどんどん中枢っていうある種の軸ができてそこから木が枝分かれするようにネットワーク化していくんですね。

でカエルのときにかなり近くなっていくんですけど、そのときに節状にこう、バッタとか見てもらえばわかりますけど、ひとつひとつの頭とか足とか節状に神経系が担当していくんで、それで人間もそういうふうな名残が脊椎みたいな、節状の構造が名残として残ってるんですけど、こういう風に末梢の神経を取り入れてそれを統合させるっていうもので本部と支部に分かれていった結果、人間の脳はこういう風な大脳があって脊髄があってずーっとのびてそこから感覚神経運動神経が伸びていく。基本的にこれって全部本来繋がってるんですね、大脳も脊髄も運動神経も全部ひとつながりになったものの、ただ形態はこういう形だっていうことで、いわゆるぼくらがみる大脳っていうのはさらにあそこは頭蓋骨で守られてるから解剖のときにですね、そこを切らないと脳を取り出せないんで脳っていう形でよく見えますけど、本来は全部なんていうか芋づる式にするするするって繋がってるのがもともとの脳の形で、これはもともと感覚と運動をつなぐものとしてできて、環境に応じて変わってきているということです。

で脳もですね、100兆個の身体になったわけです、それを運営していかなければならないんですごく大変になっていったんですけど、役割分担があって、脳っていうのはものすごく複雑なんですけど、基本的に大きく3つのパーツに分かれるんですね。それは前脳と中脳と後脳っていうんですけど、簡単にいうと前脳っていうのは鼻、嗅覚を担当して、中脳っていうのは目とか視覚とか光を担当して、後っていうのは耳、聴覚とかバランスですね。平衡感覚ですね。それを担当するものっていうことで基本的に3つ担当が分かれていて、それぞれの動物でどこが肥大してどこが特徴づいてるかっていうのは変わっていく。

実際これ、一番下が人間の脳が発生していく過程ですけど、最初に筒状のものができて3つふくらみができるんですね。前脳中脳後脳。その中でそれぞれまた、それが形が変わっていく。人間はもともとこの前脳、もともと鼻の脳なんですけど、嗅覚を担当している前脳が、どんどん肥大化して、それが大脳新皮質としてまた特殊化していったのが人間の脳になります。実際の生き物の脳を並べてみると、右上が魚類両生類は忠類鳥類ほ乳類で、あれは馬の脳ですけど、一番前にぴょこっと飛び出てるのがあると思うんですけど、あれは嗅球っていって匂いを感じる脳なんですね。

前脳っていうのはもともと進む方向に匂いをかいで、それで情報を集めて生き物で進化してきたんで、もともと匂いの脳で感じてたんですけども、それがどんどんあんまり使わなくなっていって、人間の脳は大脳に覆われて嗅球っていう匂いを感じる場所は中にうまくコンパクトに収納されちゃってるんですけど、馬ぐらいのときに大分肥大化しているのがわかると思うんですね。大脳新皮質っていう別の場所が。でしかも頭蓋骨っていうのは、あ、あと何分ぐらい?もう時間ぎりぎり?あーすいません。ちょっとまあ、っていうことでこういう風に、専門分化していったと。脳は。複雑になっていったと。

でこれが最後のスライドになりますけど、脳は結局これだけ複雑化していって身体の複雑なパーツを担当しているっていうところが僕はいちばん大事なことで、それはなんでかっていうと身体が複雑だから、いろんなパーツに分かれてるからだと僕は思います。午後にも座禅とか瞑想ってあると思うんですけど、これは結局頭っていうのがいかに身体とかこころの状態をある意味つないでいて、それをブロックをするしそれを円滑に進めることもできるっていうことだと思うんですけれども、その調整をやる。でも僕基本的に大事なのは身体っていう百兆個の細胞で人間の身体が運営されてるっていうことが大事だと思っているんで、それがそこが僕は本質で、そこを中心に頭っていうものがなんで生まれてきたのかっていうのが大事なことなんじゃないかと言う風に思います。はい。これ何分でしたっけ?っていうことで、以上で終わらせていただきます。

(会場拍手)


司会:これで午前中、3つの講演を頂戴したところで皆様の対話というこの場をとっていきたいと想います。ファシリテータの横山十祉子さんです、よろしくおねがいします。

横山:よろしくお願いします。えーっと、システムアベーニスコンサルティングっていうのをやっている横山です。よろしくお願いします。なんか拍手されるほどですね、困ってしまうなという感じもありまして、というのはこの場にいらっしゃるみなさん、最初からみていてタケシさんとも話してたんですけどもうほんとに皆さんご自分で思うものを持ってここにいらしているなという感じが非常にあるので、何をファシリテートするんだ?というようなことをとても思っております。

ですので、ほんとにほんとに自由にお話をしていただきたいと思うんですけれども、まず、1つ多分そこに入っていく前にお伝えしたいのが、実は最初から私たち休憩って1回もいっていないと思うんですけれども、特にこちらからこの時間が休憩ですっていうことは意図しておりません。ですので、ほんとにご自分の判断とご自分の選択でぜひお手洗いにいらしていただいたり、水をのんでくださったり、そういうことはなさってください。これが1つです。えっと、あっはっは。というといっぱいいく人がいるのかなと思うんですけど、特に前の方のかたなかなかいらっしゃりにくかったかなという風におもうんですけれども、もうそれすらもご自分の選択で自由にしていただければという風に思います。

それでは、対話の方に入ってきたいと思いますけれども、そうですね、ご自分の身近な方とはかなりお話をされるチャンスもあったんじゃないかと思いますし、また中には顔見知り、あらかじめ顔見知りの方もいらっしゃるかと思うんですけど、せっかくの機会ですので、なるべく話してない、なるべく知らないひとを、ちょっと動きますが探していただいてですね、4人とか5人くらいのグループ、もうちょっと床を大事にしながらいすを、最小限動かしてですね、少し身体を動かして歩きながら見つけておかけになってください。どうぞ。

(会場移動)

A:先ほどくる途中に登りながら話してた話が、●ましたっていうのが、こう力を入れてぐぐぐっと、パーッと、抜けるパーっていう、自分はどちらかというとグーの人間で、もうグググググってなっちゃうんですけど、パーが大事ってほんと、昨日一昨日くらいに気づいて、あ、パーなんだって。何言ってるかわかんないですけど(一同笑)。ずっとそのパーの話で、もう鎌倉パー会議でいいんじゃないかって、もうほんとに変なんですけど、ふざけた話ばっかりで、こう後ろに●っていって、藤田一照さんを押しのけてお話しようよ(笑)ってちょっと遊んでました。はい。

(会場拍手)

えーっとここで、お話いただきながらこんな感じでよかったんだろうかという反省の声も聞こえていますけれど、でも遊び心とかね、すごくやっぱり大事ですよね。もう一方くらいいけ、はい、あいちゃん。

あいちゃん:こんにちは。えーっとですね。私●するんですけれども(一同笑)その話を…話せるときと話せないときがあって、ほんとに自分が魂も含めすごくいいときは声が聞こえてくるんですね。最初に聞こえるようになったのが、●にいったときで、ほんとにそこは魂がすっごいきれいな場所で、そこにたまたまそこの近くの森にいって、急に呼ばれるような感じがするので、こんにちはってしゃべりかけてたら、名前を教えてくれて、クレアですっていって。

英語だったんですけど、でそっから話すようになって、●に帰ったときも逗子のすごくすてきな山に入れてもらったところ、すごく愛をかけて手入れされた山だと、ああいい山だなと思ってお邪魔しますっていってたらころんってなにか落としてくれたりして、結局そこから山はすごく愛情深くて、だいたい私にそんなにがんばんなくていいよって(一同笑)で山にいくといつも泣いてしまうっていう感じが多くて、熊本にいる山の木はゲンゴロウっていう名前だったりとか。でこのあいだ●航空で1週間●だったんですけど、そのときも開いてたので、そのときの場所が2人教えてくれる機会があって、そこで●ときに、あー前世木だったのかもって、で思ったあとに、開ききったあとに、すごい4000年くらいの森にいったときに、すっごいたくさんが話しかけてきてて、あ、自分の親戚がいっぱいいたんだって。

今まで両親がいなくなったときに、自分に家族ってすごく少なくて、ひとりぼっちだなと思ってたら、何千と親戚がいて、しかも私は今たまたま人間の身体をしている、人間の身体をしているけど、ほんとうは木だから(一同笑)、っていうことは私がやるべき使命があるんだなと。ほんとは私は木で、森の中でだいたいいつもイメージがあったのはそれやと思ったんですけど、人間として生きてる自分が、身体を持ってる自分が、地球にたいしてできることを最大限じゃあやってくるねとかっていうことをいって。そんな。

(会場拍手)

横山:すてきなお話2つ、どうもありがとうございました。もう少しお聞きをしたいところなんですけど、ちょっと事務局の方からもお伝えしたいことがあるようですので、一旦対話の部は終わりにしまして、タケシさんに交換したいと思います。皆さんありがとうございました。

(会場拍手)

〜午後の部に続く〜

テキスト = 武藤あずさ