日本には古来より「クラウド・クリエイティング」とでも言うべき手法が確立されていました。お金を単に献金するだけではなく、献身と献心を伴う手法です。
編集部: 現在のマインドフルネスの位置づけとしては、どちらかと言うと、目標達成であるとかストレスを減らすなど、本来とは違った捉え方をされていると思います。
松山氏: 数字や目標達成といったものにハマってしまうと、それを(禅やマインドフルネスが)より強化してしまうんじゃないかと私は思っています。ですから、そういう思考から抜けることが、本当の意味でのマインドフルネスであり禅だと思います。
編集部: そういうことに、世界中でも気付いている人はいます。ゆえに世界中のリーダーなどが、日本の禅に興味を持っているのかなと思うのですが。そういった深い世界観を伝えて行く役割というか、どういう形で伝えてきたいのか、という点をお聞きしたいです。
松山氏: まったく使命感はないんですが(笑)、ご縁あって来た人には少しくらい知ってもらいたいという想いはあります。とくにシリコンバレー系の方がたがいらっしゃった際には、まったく違う世界観があるということを少しでも感じてもらいたいと思います。
IT企業だけでなく、外資系コンサル企業の方など、たくさんいらっしゃるんですが、そういう方に話をし、庭を見ていただくと、そういうもの(数字だけの世界)ではない世界があるということを非常によくわかってくださいます。ビジネスのスタイルを見ても、京都は異色だと思うんです。よく大阪と京都は違うと言われますが、そのなかで、京都の経営者の方は仏教的なマインドがものすごく強いと思います。
高成長グローバル化も大事ですが、それよりも社員の幸せ、会社の永続制を大事にされるんです。それはまさに仏教の教えが知らず知らずに根付いているのではないかと思います。ひとつひとつの哲学というか、モノに対する姿勢などに見受けられます。
編集部: 目的達成型ではない幸福感というか、献身がカギだといういうことや、企業においても社員の幸せや永続性などに重きを置いているとおっしゃっていましたが、そういったものはかなり染み付いていると。
松山氏: あとは、経営者の規律ですね。リーダーと呼ばれる多くの方にお会いしましたが、私はリーダーのひとつの条件は意外性だと思っているんです。
意外性があるから、あの人は「おもろい」となるわけです。グローバルな人はおもろい人です。リーダーはおもろくないとダメですし、おもろいということのひとつが意外性なんです。加えて、商売とまったく関係のない文化的な顔というのを、京都の一般的な経営者の方は持っています。例えば、企業の社長さんだけれど、お能をやっていますとか。本職とは関係のない文化的なことを非常に深くやっている。それが道なんです。
道というのは、基本的には規律ですし、これを達成したら終わりというわけではありません。そういうところに身を投じていくと、本業での規律というのが非常に重視されるんですね。あくなき探究心というか。
京都で絶対に言っては行けない言葉がありまして、それは「わたし、分かっています」というフレーズです。どんなにすごい方でも、「いや、わたし分かりません」とおっしゃいます。「分かっている」と言ったら、「はっ?!」と思われてしまう。「分かってるってどういう状態?」と。
ですから、たとえお家元でも、「いや、まだまだですわ。分かりまへんな」とおっしゃいます。実は、お家元の「分かりまへんな」とか「知りまへん」ほど恐いものはないんです(笑)。「よう知りまへん」とかおっしゃると、この方はどれだけ知ってるんだろう…、と思いますね。つまり「分かってます」には探究心がなく、「分かりません」には、あくなき探究心を有するということでしょうか。
世代を超えた「慈悲」を・・・
編集部: これは参加者の方からの質問ですが、「慈悲」というものについて、お話いただけますでしょうか。
松山氏: 世代を超えた、「慈悲」ですね。
うちの祖父もよく言っていましたが、死んでから評価される仕事をしようと。お寺などはまさにそうです。私のお寺は600年ちょっと経っていますが、自分が住職するとしても長くて30年です。30年といったら600年の中でも5%。誤差ですよね(笑)。
ですから調子に乗って「オレはこんなことをしたんだ」とか言うよりも、とりあえず途切れさせないというか、後世にちゃんと渡す。そのうえで、あの住職のときにはこれをやったんだなあ、というものがひとつくらいあると良いなと思っています。
今の本堂は420年前からあるのですが、420年経っても使わせてもらっているんです。ですから自分の時代で何か420年後も使ってもらえるようなものを置いておきたいなと。そういう感覚ですかね。そういう意味では、今のこの時代の多くの方に、というのはもちろんですが、さらに時空を超えて、まだ見ぬ人たちに対しても慈しみを持つことが大事だと思っています。
ここ数年、クラウドファンディングが流行っていますが、いわゆる献金ですよね。あれはちょっと欧米的だなと思うんです。そうではなく、日本には古来より「クラウド・クリエイティング」とでも言うべき手法が確立されていました。お金を単に献金するだけではなく、献身と献心を伴う手法です。では、本当の意味でのクラウド・クリエイティングは何かといえば、例えば東大寺の大仏だと思うんです。
ご存じの通り、大仏は、聖武天皇が、まだこの国が統一されるかされないかくらいの時に創建されました。もちろん聖武天皇の評価は、二分されるところです。無茶をさせたとか、反対に、無茶させたことで国が定まったとかありますが、私はプラスに評価しています。
聖武天皇がなぜ大仏を作ろうと思ったかといいますと、あの方が昔、地方に視察に行かれた際、大阪の知識寺(当時は、知識には皆の力を合わせるという意味合いがあった)というお寺を見学されたそうです。
そのお寺はまさにクラウド・クリエイティングで作られたお寺だった。聖武天皇はそこに大変感動されたそうです。そして奈良に帰られてから、これから大仏をつくって国を治めようと思われました。
ただし治めるにあたって、地方の有力者がお金を出したり、辻褄を合わせるようなことは絶対にするなと。本当に貢献したいと思う人がいれば、枝1本や土を持ってくるだけでもいい。それができなければ自分が働くのでも良いと。とにかく、日本中の皆の気持ちを集めて大仏を作りたいと思われた。
当時、日本の人口600万人くらいですが、大仏作りに関わった人は推計で300万人くらいだそうです。つまり国民の半分が大仏作りに関わった。2020年のオリンピックは一大事業ですが、国民の半分が関わるなんてあり得ないですよね。
そうしてできたものだから、1000年以上ものあいだ、大仏があの場所にある。何度も焼けていますが、その度にクラウド・クリエイティングで再建されてきたのです。もちろん緊急な場合にはクラウドファンディングという手法もありますが、でもやはり日本的なやり方でいくとクラウド・クリエイティングだと思うんです。
お金がなくても貢献できるようなシステムは、やはり人の心を結びつけますし、ずっと世代を超えて愛されるものを作るにはそこが秘訣だと思います。
編集部: ここまでのお話を聞いて、日本が今後生き残るための大切な要素のひとつが宗教と芸術だと感じたのですが。
松山氏: 芸術のない宗教はないですし、音楽のない宗教はないと思います。話が飛躍しますが、日本において、ある種の停滞を招いているのはまさに芸術分野だと思います。乱暴な言い方ですが、小学校から高校までの芸術(教科書通り)の授業はやめた方が良いと思うんです。美術の時間は何の感動もない。感動のないアートは何の意味もないですよね。
「すごい!」とか「何だコレ!!」とか、勝手に涙が出てくるとか、そういうものがアートの本質だと思います。音楽の授業も然りで、まったく音を楽しんでいないんです。イヤイヤ縦笛を吹いたり、ハーモニカをやったり。そうではなく、本当に心の琴線に触れるようなそういうものを創り出していく。そういう意味において、現代の教育のなかには感動がないと思うんです。これは致命的です。
ですから日本人にとって「美術は退屈な時間」という印象がずっと続いている。そしてもうひとつは、身近にアートがないこと。家庭のなかにもアートがない。まずはそこから変えていかなければ、アートを代表とする芸術は根付き用がないと思います。もちろん、私たち寺社仏閣というのは、まさにそこを先陣を切っていろいろと取り組んでいるのですが、そもそもそれも評価してくれる人がいなければ、続きません。
感動を教育現場に回復させようと思いますし、今のまま続けるならばやめた方がいいと思います。感動できるって、人間にとって非常に大事な要素だと思いますから。
テキスト = 富岡 麻美
松山大耕氏 プロフィール
1978 年京都市生まれ。2003年東京大学大学院 農学生命科学研究科修了。埼玉県新座市・平林寺にて3年半の修行生活を送った後、2007年より退蔵院副住職。外国人に禅体験を紹介するツアーを企画、外国人記者クラブや各国大使館で講演を多数行うなど、日本文化の発信・交流が高く評価され、2009年5月、観光庁Visit Japan大使に任命される。また、2011年より京都市「京都観光おもてなし大使」。2016年『日経ビジネス』誌の「次代を創る100人」に選出され、同年より「日米リーダーシッププログラム」フェローにも就任。2017年より京都造形芸術大学客員教授。2011年には、日本の禅宗を代表してヴァチカンで前ローマ教皇に謁見、2014年には日本の若手宗教家を代表してダライ・ラマ14世と会談し、世界のさまざまな宗教家・リーダーと交流。2014年世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席するなど、世界各国で宗教の垣根を超えて活動中。